12.過去の傷痕 シャイアは故郷レーベの護り手でこそあったが、実際、アリアハンの宮廷戦士としても十分通用するほどの実力を持っていた。一方ジーニアは確かに一般の兵士と同程度の技量こそあったが、アリアハンからの道中数多くの実践経験を積んできたシャイアの敵ではなかった。 「プロの戦士に勝てるわけないじゃない、あたしは踊りで生活してるんだから。」 そうこぼしながらも、ジーニアはシャイアに負けたことで少しばかり自身のプライドが傷ついた様子だった。そんな気持ちもあってか、彼女はショーが終わってからもライアたちと席を共にしている。褐色の肌を持つ踊り娘はその容貌からも予想できるように、非常に快活で言葉の達者な女性だった。 「ふーん、父親の足取りを追ってはるばるアリアハンから・・・。」 ライアはなかなか減らないグラスに口を付け黙ったままうなずいた。そして、彼女の隣で軽快に果実酒を飲み干してきたルディナが会話をつなげた。 「そういう訳でジーニア、あなたにお伺いをたてているのですわ。」 「なるほど、ね。確かに下手な情報屋に手を出すよりは賢い選択よね。」 人間、誉められて気分を害する者などいない。それはジーニアとて例外ではなかった。 「それで、何が知りたいの?」 「ここからネクロゴンドに行く道を教えて欲しいんです。」 ネクロゴンド。15年前の反乱によって王家は途絶え、今なお、秩序から最も遠い地方。さすがのジーニアの表情にも陰りが見える。 「あそこは相当危険だよ。ここだけの話だけど、王家を滅ぼしたのは魔王だって言われているんだ。」 「魔王・・・・?伝説の存在でしょ?」 シャイアが信じられない、という表情を見せる。しかし、ジーニアの表情は真剣そのものだった。アリアハンでは数多の魔物を率い、世界を脅かす魔王は想像の存在と捉えられてきた。昔、失われた大陸では魔王と呼ばれる存在がいて、聖王家の血を引く戦士たちによって討ち滅ぼされたという。それは幼い頃、語り部や吟遊詩人といった人々の言葉で残されたどの地方にあっても不思議ではない伝承の一つ。シャイアだけでなくライア自身も魔王は単なる恐怖の象徴に過ぎないと思っていた。しかし、大陸の住民であるジーニアやルディナはアリアハン出身の彼女たちよりも遥かにその存在に対して敏感だった。つまり、彼女らは魔王を現実のものと捉えているのだ。 「わたくしたちの間では、ネクロゴンドは魔王の支配する地域だと囁かれていますのよ。」 一地方の戦士が世界中にその名を知らしめ、勇者と呼ばれた所以。それが魔王と対峙したことによるものだったとしたら・・・・?それは、今まで漠然とした目的だけを頼りに旅を続けていたライアの脳裏に初めて具体的な疑問が生まれた瞬間だった。そして同時に、自分が周囲の人間たちから自身の都合の良い情報しか与えられていない、ただの傀儡に他ならないということにも気付き始めていた。 「オルテガ様は魔王と呼ばれる存在を滅ぼすために世界を旅したのか?」 シャイラが何げなく疑問の声を上げる。その問いに答えたのはジーニアの驚いた声だった。 「それ以外のどんな理由があったって言うの?あなたたちなら当然知っているのかと思ってた!」 アリアハンで流通する情報は知らず知らずのうちに操作されていたらしい。ライアに与えられた使命の影に本人には知られないよう巧妙に匿された真実がかすかにに浮かび上がってくる。 わたしは、オルテガの子。しかし、わたしはアリアハン王に仕える一人の戦士でもある。士官したこの身に発せられた王の命令は絶対。たとえ、それが自らの意志と反していても。 その言葉は自身に対する暗示。 そして、幼い頃から何度も繰り返されたライアの心を縛る枷。 だが、そんな枷から逃れようと無知であることに対する不安と真実を知ることへの不安という2つの不安が澱み始めていた。 あまりにも幼すぎたあの頃の記憶が鮮明に残っている。 それは偽りの記憶なのか? 真実を知らないその身には偽りか否かを判断することなど不可能。 それは心に刻まれた「記録」として留まる1つの出来事。 空は青く澄み渡り、かすかに浮かぶ雲の欠片は天使の翼のように白い。 海からの風は心地よく、生命力溢れる木々に宿る鳥たちが高らかに歌い上げる。 穏やかで平和な朝は1人の戦士の帰還から波乱に満ちた長い長い一日の始まりへと変貌していった。 「大丈夫か!?しっかりするんだ!!」 アリアハン城下に繋がる街道の終点で兵士は力尽きようとしていた。その兵士を命ある世界に踏みとどまらせるために必死に声を掛ける別の兵士たち、そして魔法でその傷を癒そうと力を振るう神官が数人。しかし、その甲斐なくその瞳からは徐々に光が消えつつあった。 「ガルーダよ、天までの道を彼の者に示し賜え!」 神官が神の使い、霊鳥ガルーダに戦士を委ねる。それは死に至った人間に唱える最期の言霊。傷だらけの兵士はついにその苦痛から解放されたのだ。 程なくこの兵士が勇者オルテガの供の者であったことが王の知るところとなった。その日のうちに調査班が結成され、ネクロゴンドに派遣されることとなった。ネクロゴンドは国内で起きた反乱によって王族が次々と処刑され、その美しさと栄華を誇った城下は未だ平静を取り戻してはいないと聞く。 そして、この出来事は国民たちの混乱を招かないよう秘密裏に処理することが決まっていたが、唯一一般市民の中でこの事実を知らされた人物がいた。 酒場通りの入り口に小さな居を構える彼女の元に王城からの使者と名乗る兵士が現れたのは太陽が南の空に上がりきる頃だった。使者は彼女に一通の手紙を手渡し、足早に立ち去っていった。黒い蝋によって封印されたその手紙は中を見なくとも最も恐れていた現実を彼女に突きつけていた。 「まさか・・・・。」 獅子の紋章は差出人がアリアハン国王その人というしるし。そして、黒の封印は不幸の知らせ。微かに手を震わせながら、その封書を開き、素早く目を通した。彼女はすべての文章に目を通し、何事もなかったかのようにその封書を元の形に戻して丁寧にテーブルの上に載せた。 「・・・・ママ?」 まだ幼い子供が母親の姿を求め呼びかけていた。育児に追われる忙しい日常は彼女を感情のままに動くことを許しはしなかった。ある意味深すぎる悲しみを負った彼女にはそのほうが幸せだったのかも知れない。彼女は幼子を抱き上げ、いつものように優しく頬を寄せた。 彼女の名はエレーナ。幼い一人娘と静かに暮らす優しい母であり、若くして未亡人となった美しい女性。 「ごめんなさいね、あなたは親を選ぶことなんてできないのに・・・・。」 それを運命とするならば、神はなんと不公平なことか。この子に何の咎があるのだろうか。せめて、一緒にいられる間だけでも幸せな生活を送れるように、と願わずにはいられなかった。愛する人が残した小さな命を抱きしめながら、彼女は一心に未来のことだけを考えようと努めていた。そうしなければ、彼女自身も大きすぎる悲しみによって壊れてしまうだろう。 鮮やかな記憶。様々な記憶や事実が一本の糸となり、真実となる。国王の意図がようやくライアにも理解できた。 「お父さんの最期を知るだけが本当の目的じゃない。」 国王は勇者オルテガの最期を既に知っている。それなのに、ライアをネクロゴンドに旅立たせた。 「どういうことですか?」 ロイセが問い返す。ライアは最初に彼女の方に向き、そしてテーブルを囲む全員に向かって静かに言葉を吐き出した。 「陛下・・・・アリアハン王は、わたしに魔王征討を求めている。」 ライアに格別の措置をとったのは彼女を案じたのではない。それは、成長する間巧妙に敷かれたレールの通過点に過ぎない。同じ年の頃の子供に比べ、厳しいと感じていた今までの訓練もそういう目的のものであったのなら十分理解できる。 「いくら何でも、あんまりじゃない?」 「いいえ、十分考えられますわ。アリアハンは世界で最も魔王の存在から遠い国。その国が各国からの非難を避けるためには形だけでも幾ばくかの兵力を出さなくてはならないでしょうし。」 「勇者オルテガの血を引いているというだけで好都合だった、という訳ね。」 「ライア、これからどうするの?」 突然噴き出した真実に対して、ライアは考える時間があまりにも少なすぎた。しかし、前進しないことには何も変わらない。ネクロゴンド領内に入ったからといってすぐに魔王と対峙するわけでもないだろうし、まずは、目の前の目標を達成することを考えなくては。ライアの行き着いた答えはそれだけだった。