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[ 1 遺志を継ぐ者 ]
[ 2 暗闇の神官 ]

あたりは一面の緑。

その緑の森を過ぎると、抜けるような、青。轟く白。

「ライア、ライア。」

優しい声が響く。

突然、暗闇が舞い降り、そして・・・・。

1 遺志を継ぐ者

「お、かあ、さん・・・?」
まばゆいばかりの朝日がようやく闇に慣れた瞳に差し込む。
「おはよう、ライア。」
ああ、いつものお母さんの声。毎日のようにこの優しい声を聞いていた。でも、お母さん、ごめんなさい。今日からわたしはもうこの家にはいない。
「早く支度なさい、時間に間に合わなくなるわよ。」
まだ意識がはっきりしていないような気がする。さっきまで見ていた夢がどんなものだったか思い出せない。何かとても大切なことのような、でも、当たり前のことでもあったような・・・・。
「ライア?」
「え、あ・・・・っと、わかったわ。」
「つらいの、ライア?」
心配そうにのぞき込む母の顔。わたしはかぶりを振った。
「ううん、そうじゃないの。」
「そうよね、あなたは勇者オルテガの一人娘だもの。大丈夫よね。」
それは、わたしに対する確認の問いかけではなく、彼女自身に対する言い聞かせなのは既にわかっている。たった一人で、そう、最も愛する者さえも失ってまでもわたしに希望を教えてくれた強い女性が、最後の希望さえも手放さなければならない時が来たのだ。
「勇者オルテガの一人娘」であるわたしが、「勇者オルテガの一人娘」にふさわしい大人になるために母はわたしにあらゆることを学ばせた。剣技、魔法、戦術、伝承、武術、そして冒険で必要になる様々な知識。それは、「勇者オルテガの一人娘」には冒険者としての将来しかないということを、わたしが普通の娘として幸せな一生を送ることはできないということを、そして、母はいつか娘を旅立たせなくてはならないことを固く約束したのだ。
「お母さん。」
わたしが普通の娘である最後の瞬間だけわがままを聞いてください。
「少しだけ、そばにいてもいい?」
言い終わらぬうちに、ライアは母の腕の中に飛び込んだ。
「ライア・・・・。子供はいつか親の元から旅立つものよ。わたしはあなたがお父さんのような立派な勇者になるのを祈って待っているから・・・・。」
しばらくして、ライアが顔を上げ、小さな微笑みをもらした。それが、ライアが普通の娘としての生活に別れを告げた瞬間だった。

鏡の前に立つ自分は昨日の自分とはまったく違っている。長かった髪を切り、長旅に耐えられるような丈夫な服。そして背中に吊るしてある剣。鏡の中で微笑むのは町娘ではなく、若い冒険者だった。
そんな自分を確かめてまた微笑み、ライアは部屋を出ようとした。
(そういえば・・・・。)
彼女は一つ忘れ物があったことに気づき、机の上の物を手に取った。それは小さな道具袋。デュリスにもらったものだ。

「ライア・・・・?」
デュリスは思わず息を飲んでいた。見慣れていたものが突然変化したことに対する驚き。それが想像以上に大きかったのだ。
「変、かな・・・・?」
照れくさそうに笑うライアの足元には長い髪が散っていた。旅の間、長い髪は邪魔になる。そう言って彼女は自らの手でその髪を切り落とし、デュリスの前に現れた。
「いや、変じゃないよ。ただ、急に短くなったから・・・・。」
彼の胸が少し痛んだ。目の前のライアは自分の知っているライアではない。もう、今までのように2人で出かけることもできないだろう。彼女は明日、旅立ってしまう。彼女の前に平凡であっても平和な生活は待っていないのだ。
「勇者オルテガ」の娘であり、たった一人の子供であったせいで・・・・。
「あのね、デュリス。」
ライアがまっすぐにデュリスを見つめる。
「わたし、正直言うとね、旅になんか出たくない、わたしもティラナやメレイアみたいにずーっとここで暮らしていたい、って思ってたの。」
ここで、ずっとここにいればいいと言ったらライアは旅に出るのをやめるのだろうか?今ここでライアを引き留めれば・・・・。
しかし、ライアはそう言いつつも、一つの決意を胸に秘めていた。
「燃え盛る火焔の欠片をこの手に・・・・。」
彼女が唱えているのは『メラ』の呪文。差し出した手の平に光の粒子が集まり、小さな炎になる。その炎は切り落とされた髪を跡形もなく焼き尽くした。
旅立つ気持ちはもう揺らいではいない。
どんなに言葉で不安を訴えていても、旅立つ覚悟ができてしまっているのか。半分の安心と半分の絶望がデュリスの心をよぎり、そして、再び安心が舞い戻ってきていた。ライアの手に小さな袋を乗せ、彼は言った。
「僕は戦う勇気も力もない。だから、旅の無事だけを祈らせてくれ。」
抱きしめられたライアの肩は暖かく、そして、少しだけ痛かった。

「アリアハンの戦士の娘、ライアにございます。」
王城の一室でライアは首を垂れていた。その向うに国王が座っている。
「齢16を数え、約束の時が参りました。」
「1年前の同じ日に申したことに違いはないか?」
「はい。」
1年前のライアの誕生日に、彼女は直接国王と合う機会が与えられた。それは、王国の英雄の一人娘の将来を案じた国王の特別な配慮のためであった。その時にライアは自分が父同様、戦士として国に仕えたいという旨を伝えた。しかし、突然の申し出に国王の許可は下りず、1年の猶予だけが与えられた。1年経ってもなお、気持ちに変化が無いのならば、戦士として国王の名のもとに旅立つことが許されるのだった。
そして、今日ライアは16歳になる。
「ならば命ずる。ライア、そなたの父オルテガの足取りを追い、あれほどの戦士が命を落とした本当の理由を調べ、報告せよ。」
オルテガの消息は北の大地ネクロゴンドで途絶えたままで、実際のところは生死さえも明らかにはなっていない。ただ、彼がネクロゴンドに近づいた時、ガイアと呼ばれる地方で史上空前の規模の噴火が起こったことだけである。事態が落ち着き、王国の兵士がその場所を訪れた時には、既に草木さえも枯れ果てる死の大地が広がっていたという。
ライアは国王の前から下がった後、従者が彼女の前に現れた。
「国王陛下からの馬の餞でございます。お受け取りください。」
そう言って、彼女の目の前に小さな箱を手渡す。
「それから、ライア様にお会いしたいと言う方が居ります。」
従者は部屋の奥に消え、間もなく戻ってきた。ライアは彼の後ろに人影を見る。
「宮廷付き神官のロイセです。」
静かな面持ちの女性はそう言ってライアに挨拶をした。年はさほどライアと変わらないだろうが、落ち着いた姿勢が彼女をより大人びてみせた。
「私もあなたの旅に同行させて頂きたいのです。」
青い瞳が静かな決意をたたえ、ライアの黒い瞳を見つめる。
「危険は承知の上です。私は神官戦士としての修行も受けています。決してライア様の旅の邪魔はいたしません。」
正直なところ、一人旅をするほど自分に自信が無かったライアはロイセの申し出を快く受け入れた。


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